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(2015年7月より不定期掲載)
日本と韓国の裏側で暗躍する秘密情報機関JBI…
そこに所属する、二人のダメ局員ヨタ話。
★コードネーム 《 サイゴウ 》 …仕事にうんざりの中堅。そろそろ、引退か?
☆コードネーム 《 サカモト 》 … まだ、ちょっとだけフレッシュな人だが、最近バテ気味

韓国映画の箱

(星取り評について)
(★★★★ … よくも悪くも価値ある作品)
(★★★ … とりあえずお薦め)
(★★ … 劇場で観てもまあ、いいか)
(★ … DVDレンタル他、TVで十分)
(+1/2★ … ちょっとオマケ)
(-★ … 論外)
(★?…採点不可能)

『カト・プロジェクト』(2012)-★ [韓国映画]

原題
『카토 프로젝트』
(2012)
-★
(韓国一般公開 2014年4月17日)

英語題名
『KaTalk Project』

日本語訳題名
『カト・プロジェクト』

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(STORY)
前例なし、前代未聞の実験的教育企画、その名は【カト・プロジェクト】。

韓国から発信する新しい芸術を模索する意欲的な計画だったが、主催した韓国芸術総合学校(※)の教授や学生たちにとって、それは全く予想がつかないものでもあった。
(※)1993年に開設された国家戦略に沿って運営されている国立の芸術専門校。日本でも有名な某私立芸大とは異なります。

芸術総合学校近所にある小中学校、総計11名の生徒たちを、学校生と卒業生らが率いて、七つのプロジェクト=作品群を編み出してゆく。

それは、造形、舞踊、音楽、映像、アニメーション、演劇と、多岐に渡るものだった…

その様子を、学生と子どもたちのインタビューを交えて描く、教育ドキュメンタリー。
サイゴウ
「この作品、一応ドキュメンタリーなんだけど、何をどうしたかったのか、結局よく分からない内容だったな」

サカモト
「韓国芸術総合学校が行った【カト・プロジェクト運動】とやらを世間に啓蒙し、あわよくば韓国を代表する定番行事として継続できることを狙ったプロモーションの一端ではないかと思うんですけど、その【カト・プロジェクト運動】自体が、なんだかボヤーンとしてピンと来ません」

サイゴウ
「基本的に学校関係者のインタビューばかりで構成されているし、参加した子どもたちのインタビューにしても、たかが知れた中身。創作活動のプロセスとその結果を観せてはくれるけど、客からお金を取れるような内容じゃない」

サカモト
「やっぱり、こういうものは直接現物を観るか、自分自身が参加して、初めてその価値が分かるものだと思うのですよ。だから、劇中の子どもたちがいかに生き生きしていても、学生たちが感極まって涙流していても、観客としてはどっちらけ。まあ、学生も子供たちも各人の実技レベルは結構高そうですけどね」

サイゴウ
「学校関係者ご自慢のホームビデオ観せられているみたいだよな」

サカモト
「創作ジャンルも絵に映像、ダンスに音楽と多彩ではあるのですけど、映画的なエモーション狙うなら、もっと追う対象を狭く深く絞らないとだめでしょうね」

サイゴウ
「映画として面白い素材がやっぱり集まらなかったんじゃないかな?仕方ないので使える素材を集めて、インタビューを追加して、無理矢理まとめた、って感じ」

サカモト
「韓国芸術総合学校を紹介するプロモーションとしては無難に仕上がっていますけど、そうだとすると尺が長すぎますし…」

サイゴウ
「でもこれ観て、【僕も私も参加したい!】って、皆あんまり思わないんじゃないのかなあ…もっとも、受験競争まみれの韓国で、こういう活動を子どもたちにさせること自体はいいことだと思うし、オレが小学生だったら是非参加してみたいと思うけどさ」

サカモト
「劇中登場する七つのプロジェクトの中で、どれが一番良かったかと聞かれたら、ダンス・パフォーマンスですかね?映像として見応えがあったし、こういう前衛的なダンスをみんなで作り上げて演じることは、日本の学校でやってもいいかな?なんて思いました」

サイゴウ
「日本の学校で指導できるかどうかは別だけどな。でも流行りの音楽でダンスの授業やらされるより面白そうだし、意味はあるかも」

サカモト
「でも、ごく普通の小学生たち全員が、こういう前衛的な創作活動に楽しく積極的に参加できるかどうかは、ちょっと疑問も感じます。子供たちの家庭が情操教育に理解があって、幼い頃からアートに触れているような生活を送っている子供じゃないと、こういった活動はやっぱり楽しめないと思うんですよ。実際、この映画に出て来る子どもたちの大半は、中流以上の家庭の子じゃないかと思うんですけどね…」

サイゴウ
「登場する子供たちは皆、知的で礼儀正しくて綺麗な服装していて、全然粗暴じゃないもんな。やっぱり【つまんねえ父ちゃん、母ちゃん】の【ガサツで無粋な家庭】で育てられた子供だと辛いと思うよ。でも、中には今回のような活動に触れることで、新たな自分に目覚める子供もいるだろうから、やっぱり後は、大人側が子供たちをどう導いて行けるか、という問題なんだろうな」

サカモト
「そこら辺の問題って、日本も韓国も基本的に厳しいような気がしますね。国以外にも地域差が大きいでしょうし…」

サイゴウ
「ただ、こういう実験が施行されて、それを記録した作品が作られること自体は、やっぱり今の韓国における情操教育と、それを取り巻く環境に疑問を感じている人もいる、と言えるワケで、【カト・プロジェクト】施行の十年後、二十年後に、多少なりとも良い結果が開花して欲しいとは思うよ」

サカモト
「ただ、それは【カト・プロジェクト】自体の話であって、それを記録した今回の映画は映像作品として【やっぱりどうも…】です」

サイゴウ
「EBS枠内で流したり、小中学校で授業中に観せたりする分にはまあ、いいんじゃない?保護者だって、これ観て子供の情操教育に関心抱く人は必ずいるだろう?」

サカモト
「それはそうですけどね。結局、後は大人たち次第ということなのでしょう」

サイゴウ
「それよりも、この映画は【カト・プロジェクトがどうたら】じゃなくて、やっぱり国立機関である韓国芸術総合学校のプロモーションをやりたかっただけ、って感じだな」

サカモト
「なんでもかんでも【国立・国営・公社】の助成事業にしないと進まない、成り立たないという、韓国の抱える慢性的な弱点かつ特徴も、何気で浮かび上がらせていたのではないかと…」

サイゴウ
「そういう点、日本はいい意味で【無頼の雑草たち】が文化を支えているから強い、って言い方ができるかもな」

サカモト
「でも、最近は日本内でも一部が【Cool Japan】だとかなんとか、変なコピーを主張し始めていますから、あまり人のことは、我々もとやかく言えませんけどね」


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『シャトルコック』(2013)★★ [韓国映画]

原題
『셔틀콕』
(2013)
★★
(韓国一般公開 2014年4月24日)

英語題名
『Shuttlecock』

日本語訳題名
『シャトルコック』

勝手に題名を付けてみました
『終わらない旅路』

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(STORY)
17歳のミンジェ(=イ・ジュスン)は両親を事故で失い、残された腹違いの姉ウンジュ(=コン・イェジン)とその弟ウノ(=キム・テヨン)たちと暮らしていたが、ウンジュは遺産を持ち逃げして行方不明になっていた。

収入を絶たれ、生活が困窮してゆく中、ミンジェは僅かな手がかりを元に、ウンジュを探す旅に出る決意をする。

独りで自動車に乗り込むミンジェだったが、知らない間にウノが乗り込んでしまったことから、慶尚南道・南海を目指す無免許高校生の危うい旅が始まった。

孤立無援の中、身分を偽りながらウンジュを探すミンジェは、苦労の末、スーパーで働くウンジュと再会するが、彼女は妊娠しており、ソウルに戻ることを拒絶する。

ミンジュに彼女を連れ戻す力はなく、無邪気にはしゃぐウノを置き去りにしたまま車を発進させるが、その行く先には暗い夜道が続くだけだった。
彼の未来を象徴するかのように…

社会との繋がりを絶たれた少年たちが紡ぐ絶望の構図。
サイゴウ
「若手のインディーズらしい作品だった、と言えばその通りなんだけど、それゆえの隘路に嵌ったような映画でもあったな」

サカモト
「新人とは思えないくらい、人の描き方には深みと凄みがあるのですけど、デビュー作でエネルギーを吐き出し切ってしまって、後が続かないタイプかもしれませんね、監督のイ・ユビンという人は…」

サイゴウ
「韓国映画芸術アカデミーで製作した『バスクン(파수꾼)』が高評価されてから、韓国では産学共同企画の作品がぞろぞろ登場して来ているんだけど、いつも生真面目過ぎて深刻な内容ばかり、もっと根っ子の部分でエンタティメント志向じゃないと危うんじゃないのかな?今回の『シャトルコック』もそんな危うさがあった」

サカモト
「韓国映画芸術アカデミー系は特にそうかもしれませんね。作り手の頭の良さは凄く感じるのですけど、どこか、袋小路に陥っている印象をよく受けます。結局、デビュー作がいくら優れていても、次へ次へと作品製作を繋げないと意味がないとも言える訳ですから、そういう点でも、今回のイ・ユビン監督は、本当の勝負時に苦戦を強いられそうな気配を感じさせる内容の作品でした」

サイゴウ
「エンタメ志向の『レット・ミー・アウト(렛 미 아웃)』が世間で無視されたことと、なんだか対照的だな。これからも、『シャトルコック』みたいなガチ生真面目系ばかりがラインナップに並んじゃうと、観客としては若手のインディーズ作品に対して、覚悟が必要になりそうだ」

サカモト
「その点、シン・スウォン監督の『冥王星(명왕성)』は【いいとこ取り】でしたよね。大変バランスが取れていた作品でした」

サイゴウ
「もっとも、新人の映画ではないから、『シャトルコック』と同列に並べられないと思うけどな」

サカモト
「『シャトルコック』も低予算のデビューの作品らしく、退屈なやりとりが全編ダラダラと続きます。それと【若者の絶望と困惑】が大安売り。そういう方向に振ってしまう気持ちを分からなくはないのですけど、やはり観客としては両手に歓迎しかねるのが正直なところ」

サイゴウ
「しかも、絵に描いたようなロードムービーだし。まんま、インテリ映画青年っぽい内容だよな。演出力は新人として、むしろ傑出している方だから、技量の高さは率直に認めるけど、観客として、観ていて【乘れる】かどうかは別の話。だから、手放しでは褒められないモノがある」

サカモト
「ただ、主流から外れた枠組みにある企画だったからこそ、今の韓国で撮れた映画とも言えますし、自分がもっと若くて、例えば高校生ぐらいだったら、共感して嵌っちゃうような生々しい感性が、作品にあったと思います」

サイゴウ
「でも、そこが最大公約の客を対象にした時、微妙なラインになってしまう。それじゃ、【目の肥えた映画好きなら認めてくれるか?】と問われても、それまた、ちょっと疑問。大げさにいえばイングマール・ベルイマンの系列にある作品なのかもしれないし、イ・チャンドンやシン・ドンイルといった韓国映画の系譜を継ぐ感じはするんだけど、監督のイ・ユビンにとっては、どれだけ自分の周辺ネタから離れた問題に取り組めるか、描けるかの方が、これから映画監督として生き残れるか、否かの境目になるんじゃないかな」

サカモト
「でも、俳優の使い方については特筆すべきものがあった事は認めたいです。演じている俳優も優れていましたが、彼らの微妙な部分を上手に引き出していたのではありませんか?基本的に全編、ミンジェ演じたイ・ジュスンの一人芝居に近いのですが、破綻していないし、最後まで張り詰めた空気感が続きます。子役のキム・テヨンも非常に素晴らしい。これって、俳優たちの力だけではなくて、監督の才能も感じますし、女性監督ならではの艶かしい繊細さもあったと思います」

サイゴウ
「でも、姿をくらます姉ウンジュは結構トホホだったので、それが難点かな。まあ、演じたコン・イェジとイ・ジュスンンの大きな技量差もあるんだけど、なんだか扱いが冷たかった。ウンジュという役は、この映画のミステリアスな要素を支えるキーキャラでもあるんだから、もう少し演出的に熱があってもいいキャラだった。彼女が姿をくらました後のウンジュ周辺の描き方がもっと丁寧であれば、異色の青春ハードボイルドになる可能性はあったと思う」

サカモト
「ウンジュに限らず、どのキャラも突き放して描いていますし、余計な説明や台詞による心情説明を極力避け、アンハッピーに徹した演出は、確かにハードボイルド的かもしれませんね。それが意図的であったのか、結果的にそうなったのかは分かりませんけど…」

サイゴウ
「ただ、そういう【ひねくれた部分】も、若さゆえ、って気がする。デビュー作でこういうスタイルをやるクリエイターって、そり合わないように見えるメロとかコメディとかを苦悩して手掛けた方が、意外といい作品を撮るんじゃないだろうか?」

サカモト
「最初のメジャーオファーは、多分ホラーか、サスペンスっぽい気がしますけどね」

サイゴウ
「でも、それはそれで観てみたい気にさせる才能ではあった。『シャトルコック』が映画として面白いかどうかは別にしてだけどな」


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『起爆』(2013)★★ [韓国映画]

原題
『들개』
(2013)
★★
(韓国一般公開 2014年4月3日)

英語題名
『Tinker Ticker』

日本語訳題名
『野良犬』

日本初公開時題名
『起爆』
(第26回東京国際映画祭 “アジアの未来”にて上映)

勝手に題名を付けてみました
『首輪なき飼犬たち』

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(STORY)
理系の大学院生チョング(=ビョン・ヨハン)は卒業を間近に控えていたが、就職先は決まらず、焦燥の日々を送っていた。
所属する研究室はペク教授(=キム・ヘチャン)以下、不条理なヒエラルキーに支配されており、一番格下のチョングにとって安息の場ではない。

日頃の鬱憤を晴らすべく、チョングは時間があれば、とある趣味に興じていた。
廃屋に見せかけた山のアジトに夜な夜な通い、そこで多様な種類の手製爆弾を製作するのだ。

かつてチョングは折り合いの悪い父親の爆殺を試みて逮捕されたことがあったが、未成年だったことから大きな罪には問われず、今そのことを知るのはごく限られた関係者だけ、彼にとって爆弾作りと共に決して漏らしてはならない秘密でもあった。

チョングはインターネットを介して自分の爆弾を使いたい人々を探していたが、誰も相手にしない。
そんな折り、大学の後輩にあたるヒョミン(=パク・ジョンミン)が名乗り出る。 彼は裕福な家庭の子息だが、学校で不遜な政治的言動を繰り返す厄介者だった。

人懐こいヒョミンに自分にはない自由と力を感じたチョングは爆弾を彼に託すが、やがてヒュミンは愉快犯として世間を騒がせるようになる。

彼の行動がエスカレートすることに恐怖したチョングは、その暴走を止めようとするが、逆にヒョミンは煮え切らないチョングの言動に反感を露わにし始める。

同じ頃、爆弾騒ぎを担当するオ刑事(=オ・チャンギョン)らは過去の事件からチョングの存在を突き止めるが…

一見恵まれた環境の中で育ちながら、未来を見失った二人の青年による目的なきテロルを描く。
サイゴウ
「『파수꾼(Bleak Night)』の流れを汲んだ、韓国映画アカデミー系の真面目で退屈な低予算作品なんだけど、シナリオ自体には凄く可能性があったと思う。できれば早急にメジャー系としてリメイクを望みたいくらいだ」

サカモト
「屈折したお坊っちゃまの話なので【なに、お前ら贅沢こと言ってんだ!】みたいな部分が観客としてはどうしてもありますが、【富者の動機なきテロリズム】を描いたアイディアは、なかなか韓国映画として斬新です」

サイゴウ
「劇中、テロをやる側に決して動機が無いワケではないのだが、ありがちな政治的背景が無いことが特色なんだよな。まあ、格差問題だとか、若者にチャンスを与えない体制に対する不満の裏返しではあるんだけど、韓国社会が豊かになった分、生きる目的を失ってしまった若者たちの空虚感や絶望がよく出ている。しかも主演の二人が適役なので、それもうまく効いた」

サカモト
「この手の作品は底辺の貧困層を描くことが多いんですけど、今では貧困層の抱える不満が中間層まで及んできている、ってことかもしれません」

サイゴウ
「思想なきアナリストのヒョミンは明らかにお坊っちゃま、だから同情の余地はないんだけど、チョングの方は絵に描いたような中流家庭の真面目な青年。ゆえに傑出した部分もなく、就職に苦労する様子が今の日本と重なる」

サカモト
「その大人しくて常識的すぎるチョングの隠れた趣味、特技が爆弾を作ることだった、という矛盾が、この映画のポイントなのですけど、下手打てばどうしようもないキャラになりかねないところを、人物描写を丁寧にやることで回避しています。秘密基地で爆弾を作り続けるチョングの姿はネットにハマって引きこもっちゃう韓国青年たちの暗喩にも見えました」

サイゴウ
「チョング演じたビョン・ヨハンは演技的にまだまだなんだけど、タイトロールをうまく体現していたよな。俳優として未熟なところが逆に、チョングの持つ屈折した部分の表現としてうまく活きていた」

サカモト
「彼とは対象的なトリックスターであるヒョミン演じたパク・ジョンミンも、俳優本人のパーソナリティが映画のキャラクターとして活きていましたね。どこか計算した演技しているのが見え見えなのは残念なのですけど、今後、本能的に芝居をこなせるようになれれば、いい個性派俳優になりそうです。ちょっとあざとすぎますけど…」

サイゴウ
「彼は【『Bleak Night/파수꾼』のパク・ジョンミンがねぇ~】みたいな感じだったな。ただ、顔立ちが個性的すぎるし、神経質で落ち着きない【地】が演技に出てしまうので、そこら辺をうまくコントロールできないと今後、出来る役柄は限られてしまうかもな」

サカモト
「リュ・スンボムに続けるような個性派スターになれるかどうかは現時点では微妙ですか」

サイゴウ
「確かに今の映画界大スターに当てはめると、昔のリュ・スンボムっぽいかもな」

サカモト
「でも正直、ビョン・ヨハンもパク・ジョンミンも、この映画では役が嵌っていても、【俳優としてはまだまだ】という印象の方が強くて、シナリオや演出に救われた、って感じの方が強いです」

サイゴウ
「いくらでも爆弾サスペンスだとか青春犯罪物に出来そうなシナリオだったんだけど、監督のキム・ジョンフンはお利口なので意図的にそれを外したって気がする」

サカモト
「劇中、肝心の爆弾は意外と爆発しませんしね。そこら辺のこだわりというか、ヘソの曲げ方も映画アカデミー系作品らしいところではありますけど」

サイゴウ
「その【高尚さ】をやり過ぎちゃうと一般観客相手の映画としてマイナスになりかねないけどな。この『起爆』のような作品には、やっぱりサスペンスだとかキッチュさを求めてやって来る人たちも少なくないワケで、あざとい見せ場がもう少しあれば秀作くらいにはなったんじゃないかな?」

サカモト
「ちょっと気になったのは劇中での警察の対応ですよね。チョングが容疑者になった途端、実際の警察の動きはあんなものではないでしょう。大学側も彼の過去や容疑を知れば放っとくはずはないのですけど…」

サイゴウ
「そこら辺は話を進めるための方便だとは思うけど、人間描写が真摯な分、ご都合主義の気配がして残念ではあったな。だけど、話の途中で警察側を大きく絡めたら、この映画は成立しなくなってしまうだろう」

サカモト
「映画が虚像、フィクションであるがゆえの【痛し痒し】かもしれませんね」

サイゴウ
「新人のインディーズとしても一般の映画としても凄く真面目に作っているので決して悪い作品ではないんだけど、ちょっと常識的すぎることと、優れた映画に必要な【絶対的狂気】に大きく欠けるので、残念ながら注目すべきレベルまで行かなかった」

サカモト
「もうちょっと、どこかに【野蛮な血】を入れないと内輪受けの卒業制作的ノリを超えられないと思います」

サイゴウ
「韓国映画アカデミーって、ホント、優秀な人材が揃っているとは思うんだけどねぇ…」



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『萬神』(2013)★★ [韓国映画]

原題
『만신』
(2013)
★★
(韓国一般公開 2014年3月6日)

英語題名
『MANSHIN: Ten Thousand Spirits』

日本語訳題名
『萬神』(※)
(※)京畿道・揚州における巫女の敬称

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(STORY)
韓国では現役最高の巫女(=萬神/만신)の一人、キム・グムファ。
彼女は日帝時代、現在の北朝鮮・黄州にある貧しい家で生まれ、幼い時から不思議な能力を発揮し、周囲に疎まれていたが、ある日、地元の巫女に、その力を認められ、ムーダン(巫堂)の巫女として人生を歩むことになる。
やがて彼女は日帝による慰安婦徴用から逃れるために南側に移るが、ほどなく半島は内戦で南北に分断されてしまう。

故郷に戻ることが出来なくなり、韓国で“萬神”として活動を続ける彼女(再現ドラマはキム・セロンとムン・ソリが演じる)だったが、それは奇しくも激動の韓国現代史そのものでもあった…
サイゴウ
「一応ドキュメンタリーの形式をとっているけど、ちょっと微妙な構成の作品だ」

サカモト
「韓国で有名な巫女の一人であるキム・グムファの人生と今現在を描いていますが、再現ドラマの部分がかなり多いのでフィクションとノンフィクションの折衷みたいな内容です」

サイゴウ
「【ドキュメンタリーとは何か?】という定義にもよるんだけど、日本におけるそれとはイメージが異なる作品かもな。原一男の『全身小説家』だとか、日本のTVで放送している再現系実録物に近い」

サカモト
「それゆえ、【どこまで事実なのか】みたいな疑問を感じる人もいるでしょうけど、ドラマ仕立てにした分、非常に分かりやすく面白くもなっています」

サイゴウ
「でも結構シュールな演出でもある」

サカモト
「監督を手がけたパク・チャンギョンはパク・チャヌクの弟にあたる人ですが、そのシュールさに互いちょっと通じるところがあるかもしれませんね」

サイゴウ
「いやあ、マーケット的にはいい宣伝ネタだろうけど、やっぱりそういうこととは切り離して観るべきだと思うよ」

サカモト
「再現ドラマではムン・ソリが主演ですし、美術や撮影もかなり丁寧なので、それなりに製作費が掛かっていたのでは?と思うので、パク・チャヌクの力が【無きにしもあらず】なのではないかと」

サイゴウ
「ブロックバスター的な商業作品に近いのは確かなので、インディーズというより、準メジャー作といったところだろう。扱っているネタはマイナーだけどな」

サカモト
「ちょっと異色だったのは、【実現象としてのムーダン】を描いていたことですか」

サイゴウ
「キム・グムファが幼い頃から特異な能力を持ち、【萬神】として後を継ぐまでのドラマは中々具体的。巫女が見える世界はどういうものかが描かれているので、ディカバリーチャンネル枠内みたいで興味を引かれた」

サカモト
「ムーダンをテーマにしたドキュメンタリーは今までも幾つかありましたけど、巫女が内に抱えた超常的なものを具体的に描く作品はあんまりなかったと思います。あくまでもその人の生活を追うとか、韓国の伝統文化の紹介みたいな面の方が強くて、超常現象としての側面はスルーされる傾向がありましたね」

サイゴウ
「まあ、オカルティックなテーマだから、【現象】として真面目に捉えることはまだまだ、韓国内で抵抗があるんじゃないだろうか?でも、過去に韓国のTV番組でキム・グムファの能力についてそれなりに科学的に描こうとしている作品があったのは驚いたよ」

サカモト
「劇中流されるクリップ映像ですね」

サイゴウ
「もう一つ、非常に興味を惹かれたのが、日帝時代から朝鮮戦争、軍事政権、ベトナム戦争、そして現在に至るまでの韓国現代史と、朝鮮におけるムーダンの関係を歴史的な流れの中で描いていたことだ。キム・グムファが黄海州の貧しい村落の出だったのも映画が面白くなった理由だと思う」

サカモト
「日帝時代は活動が当局に黙認されていて、大韓民国になった途端、行政から圧力を加えられるようになったのはちょっと意外ですね。まあ、キム・グムファが故郷の村から逃げ出す経緯については日本人からすると【またこれかよ!?ふざけんな!】みたいで、異論&反論もありますけど」

サイゴウ
「元々北の人だから、当時の韓国でスパイ容疑を掛けられるのは、やもをえないことではあるんだけど、それより愕然としたのが儀式の最中に呆けたキリスト教信者が乱入して彼女を【サタン!】と罵り、邪魔をするシーンだ。韓国が今だにクリエイティブの面でイマイチである理由がそこに見えた気がした」

サカモト
「オカルテックなことについての社会的許容性って、みんな気がついていないだけで本当は重要なことなのかもしれません」

サイゴウ
「伝統儀式や古い宗教なんて、乱暴にいえば、みんな不条理なものだ。だけど、それをバカにしてセセ笑ったり、【正統】という看板で片付けちゃったりすることは、自分たちの文化や歴史を否定することにもなりかねない」

サカモト
「いくら非理論的で現代にそぐわなくても、オカルト文化はもともとなんらかの必然性があって生まれたものであり、長らく生活の一部でもあった訳ですからね」

サイゴウ
「今回の『萬神』はそこら辺、韓国のドキュメンタリーとしては、ちょっとだけ踏み込むことが出来たかもね」

サカモト
「キム・グムファ自身と、その弟子たる人たちも、みんな聡明なのも印象的でしたね。外国人もいますし…」

サイゴウ
「今風の言い方をすれば、彼女たちは基本的に心理カウンセラーだろう。結構儲けている気配が画面から伝わってくるけど、彼女たちの話し方や表情を見ていると、それも当然、みたいな理知的さが漂ってくる」

サカモト
「みんな、身なりが小奇麗で端正なのも韓国らしいですし」

サイゴウ
「韓国はオバさんもオバアさんも、都会だろうが田舎だろうが、身なりに気を使っているよな。年配で教養がある人ほど、その傾向は強い気がする。それがカッコいいとか美しいとか言う訳ではないんだけど、朝鮮文化の美徳だと思うよ」

サカモト
「なぜ韓国で日本人女性なのか分かるのかといえば、実は身なりの端正さの違いだったりしますからね。オバさんになるとその差が歴然としてきます」

サイゴウ
「まあ、日本人の一見だらしないように見えるオシャレ文化も、それはそれで【あり】なんだけどな。ただ、韓国では身なりの大切さみたいなものを痛感することはよくある。そういう点もなんだか目に付いた映画だったと思うよ」


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『青春礼賛』(2013)-★ [韓国映画]

原題
『청춘예찬』
(2013)
-★
(韓国一般公開 2014年1月2日)

英語題名
『Animal』

日本語訳題名
『青春礼賛』

勝手に題名を付けてみました
『嗚呼、青春幻影』

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(STORY)
同じ大学に通うテピョン(=キム・ナムヒ)、スヨン(=イ・ドンヒ)、チョンシン(=パク・ジュヨン)は特技もコネもお金もない、ごく普通の若者だ。
くだらないエロ話に興じ、日本の悪口を言いながら漫画「スラムダンク」に夢中だったりする。

テピョンは合コンで知り合ったヘギョン(=チュ・ミニョン)と付き合うようになるが、兵役を経て、結局は年下のジュリ(=カン・ユミ)とデキちゃった婚し、家庭をもうけることになる。

大学卒業後、それぞれの道を歩むようになった三人だったが、その冴えない生き方は、いつも危うい脆さを抱えていた。

サラリーマンになったテピョンはアルバイト感覚で薬の横流しに手を染めるようになり、飲み屋を経営するスヨンは外国人相手の売春斡旋業を始めるが、やがて二人は逮捕され、収監されてしまう。

そして、テピョンが出所した時、彼を待っていた本当の幸せとは。
サイゴウ
「男だったら誰でも経験しそうな【情けない青春】を描いたという点は分かるんだけど、みっともない様子をそのままダラダラ描けばいい、ってもんじゃないし、この手の作品はそういうドツボに陥りやすい。それを地で行ってしまった上に、インディーズとはいえ、ハナから貧相過ぎて、退屈至極の映画だったな」

サカモト
「最初から下ネタの連続なのも観客として【いまさら】でしたし。そこら辺は韓国の青春映画らしくもあるとは言えるのですけど、こんな露骨な下ネタは今どき流行りませんよ。そこにも演出の古さを感じました」

サイゴウ
「一応、群像モノではあるんだけど、それでも誰が話の中心なのかイマイチ不明瞭。とりあえずテピョンが主人公なんだろうけど、各人の描き分けがはっきりしないので、誰が誰やら、よく分からなくなってくる」

サカモト
「一部のキャラは突然、姿を消してしまいますし…」

サイゴウ
「各キャラを平行に描こうとしない方がよかったんじゃないかな。そこら辺の整理整頓と描き分けがまだまだ技量不足だし、仮に主人公を一人に絞ってもどうかなぁ?的な疑問を感じた」

サカモト
「大学生からサラリーマンまで各時代背景を経て、全体の物語が語られるのですけど、そこら辺も見せ方がかなり弱いですよね。低予算なので美術などの面では仕方ない点もありますが、映画からは【時代の匂い】が全然漂ってきません」

サイゴウ
「使われている小道具や衣装なんかで分かる人は分かるんだろうけど、それも単なる内輪受けの範囲。韓国人でも分からない人は分からないレベルだと思うよ」

サカモト
「スヨンが外国人専用のポン引きで外貨を稼いだり、テピョンが薬の横流しやったりするところは興味深い【韓国のリアル】だとは思うのですけど、本筋とはあまり関係ないような気もします。それらの【転】の部分が劇中でうまく活かせていません」

サイゴウ
「それって映画の中で登場人物たちの生活ぶりが、きちんと描けていないからだと思うよ。一応、就職難だとか、兵役の問題だとか、サラリーマンとしての苦労だとか、描いているように見えても、実際は単なる記号として並べているだけ、【実感】がそこに伴っていない。監督には、そういう経験が【リアル】としてないんじゃないだろうか?」

サカモト
「その説得力に乏しいドラマを最後までダラダラ、ダラダラやっているだけなので観客として凄く苦痛を感じました」

サイゴウ
「映画には会話劇の面白さを狙ったのかもしれないけど、これも外しているよな。オレたちが外国人だってことも大きいけど、冴えない会話をダラダラ続けても画面に説得力が無いと観ていて疲れるだけ。そこら辺、監督も俳優も映画を引っ張る力がまだまだ」

サカモト
「時代的なディティールを深く描いていれば、まだ救われたと思うのですけどね」

サイゴウ
「それをやるだけの余裕が無かったんだと思うよ。製作側の体力不足で…それでなくても尺稼ぎの無駄さ加減が鼻につく映画だったから、やればやったで更に冗長になりそう」

サカモト
「ジュリ役のカン・ユミが、いい味を醸し出していたので、彼女をもっと全面に出すか、テピョンとの結婚生活に至るまでを物語の中心として描いた方が遥かにいい内容になったような気もしますね。青春回顧のラブストーリーとして…」

サイゴウ
「いやー、それもどうかな。この映画につきまとう貧困さを思うと例えそれをやっても、たかが知れていると思うけどね。無責任な結果論になってしまうけど、監督は時代性や風俗のスケッチをどう描くべきか、もっと勉強しないとだめだよ。そういう意味では悪い見本、反面教師的な作品であったかもな」

サカモト
「好意的に観れば【並のインディーズ】かもしれませんが、やっぱり、今どきこの内容では他のライバルたちに敵わないでしょうね」

サイゴウ
「次は開き直って、いい意味での泥臭さをもっと全面に出せれば、それなりに面白い作品が出来るかもしれないけどな。まあ、今回は良くも悪くも【いまさら、これ??】的な作品ということでオシマイかな?」

サカモト
「もう少し、作品の中に狂気や殺気があれば、また印象は変わったのでしょうけど、そこら辺も作り手側が、ちょっと達観しているというか、映画に対して諦めているみたいなものがあったので、それが何よりも観ていて気になりましたね」

サイゴウ
「もっと元気が欲しいよな。でも韓国人だって、なんやかんやで実際は現実生活に疲れて醒めていたりするから、オレたちが思うよりも皆さん無気力な方向へと変質しつつあるのかもしれないね」

サカモト
「やっぱり、彼らも生きることに疲れているのでしょう、日本人以上に…そういう濁った気配が【ドヨ~ン】と漂う作品でしたね」


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『シヴァ、人生を投げて』(2013)★ [韓国映画]

原題
『시바, 인생을 던져』
(2013)
(韓国一般公開 2013年12月19日)

英語題名
『SHIVA, Throw Your Life』

日本語訳題名
『シヴァ、人生を投げて』

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(STORY)
TVディレクターのピョンテ(=パク・ギドク)もまた、混沌としたインドに惹かれた韓国人の一人だった。
故郷に住む保守的な父親と確執を残したまま、カメラマン兼助監督(=イ・ジョンググ)と共に作品を作るべく、インドで現地取材を続けるが、毎日が想定外のトラブル続きだ。

独り放浪するハンナ(=スヒョン)もまた、この地のカオスに呑み込まれた女性だったが、故郷に帰る意思など半ば捨てていて、同胞にも冷たい。

一方、家出したスニョン(=イ・ミラ)は夫と子供を残してインドにやって来たが、全てが恐ろしく、因縁の電気ジャーを抱え、独り途方に暮れていた。

目的も立場も動機も異なる四人の韓国人。
だが、インドの地が四人を運命的に結びつけてゆく。

やがてピョンテとハンナの間に愛が生まれ、スニョンは人生をやり直す決意をするが…

韓国とインド、その異なる生死観を背景に描く、それぞれの人生模様。
サカモト
「ドキュメンタリー映画『懐かしの人力車(오래된 인력거)』で脚光を浴びたイ・ソンギュ監督の新作ですが、やっぱり今回もインドを舞台にしています。場所はカルカッタではなくて、デリーが中心ですけど」

サイゴウ
「この監督にとって、インドってところはホント、創作意欲をかき立てられる場所なんだろうな。そういう気持ちが映画からは、ひしひしと伝わって来る」

サカモト
「今度はドキュメンタリーではなくて劇映画、生死観の違いや宗教的価値観を重点的に描いているところは、熊井啓の後期作『深い河(1995)』にちょっとですが、重なります」

サイゴウ
「でも、オレは基本的に今回の作品は、【劇映画の体裁をとったドキュメンタリー】だったと思うよ。『懐かしの人力車』は逆だったけど…【インド】という場所の空気感を生々しく伝えるべく、あくまでも【道具立て】として劇映画にしたんじゃないだろうか?そうすることで、『懐かしの人力車』で気になった高飛車なカメラ目線は低くなったといえるし、架空のキャラクターを介することで、作り手が感じたであろう皮膚感覚を観る側へ伝えることに成功していると思う。物見遊山なスタイルのドキュメンタリーじゃ、インドの裏路地の汚さとか、インドを彷徨う韓国人の姿とか、火葬場の雰囲気だとか、意外と伝わらないのかもしれないな」

サカモト
「作り手が【見たまま、聞いたまま、嗅いだまま】のダイレクトな感覚を映像で再現するために、あえて劇映画にした、ってことですか」

サイゴウ
「そうじゃないかと思うんだけどね。劇映画にすることで、いらない部分もかなり感じたけど、それはそれで、監督の頭にある妄想やらイメージを象徴していただろうしね」

サカモト
「劇中の主人公とその父親の関わりなんかは、その一例かもしれませんね。一番いらないエピソードでしたけど、監督の原体験と韓国の観客を結びつけるための方便だったのかもしれません」

サイゴウ
「あれは、韓国的な生死観とインド的な生死観を対比させたら面白いかも?という発想から来ていたんじゃないかな。この映画の物語に必要のない余計なエピソードだったとは思うけど、インディーズだから許される無駄さ加減とも言えるし、監督の極私的視線というか、頭の中を伝えるためだと考えれば、決して無意味じゃない。それに、いくら異常に見えても、インドもまた同じ人間が暮らす場所ってことを、生死観を描くことで伝えたかったんじゃないだろうか」

サカモト
「ただ、劇映画として純粋に観てしまうと、この上なくつまらない作品でしたけどね。何よりも古臭いですし…」

サイゴウ
「だから、その【古臭いドラマ】という部分こそ、隠れドキュメンタリーとしての側面というか、本来の目的を光らせるための演出だったと、オレは思うワケ。劇映画だから、一見、登場人物たちの行動が映画の中心にあるように思えるけど、その裏に何気で映っているものこそ、ホントのテーマだったんじゃないのかな?だから、両方を頭の中で分離して観ちゃうと、実は更に面白くなかったりするし、逆にいつもそれらを意識して観ないとダメな映画かもな」

サカモト
「そこら辺の微妙過ぎるというか、分かりにく過ぎる部分が、この作品の特徴なのかもしれませんね」

サイゴウ
「確かに純粋な劇映画として観ちゃうと、ホントにひどい内容で【今どきこれはないだろう】なんだけど、【劇映画に偽装したドキュメンタリー】であると穿って読み解けば、インドで馬鹿みたいにウロウロしている韓国人にも、それぞれの事情があって、韓国から離れてインドで暮らすことが、彼らの人生観に大なり小なり影響を与えうる、そしてそれは良いことなんだという主張というか、言い訳を描こうとしているようでもあるし、そこら辺の弁解がましさがいかにも韓国らしくて、この作品の一番面白い部分だったとは思うよ」

サカモト
「単体でこの作品をいきなり観るよりも、前作『懐かしの人力車』を予め観てからの方が、監督や作品の持つ特性みたいなものが、より分かりやすいかもしれませんね」

サイゴウ
「まあ、韓国のインドマニアが作った、韓国のインドマニアの為の映画って感じじゃないのかな?ただ、やっぱり劇映画としては、なんとか許せるレベルといったところではあったけどね」

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『弁護人』(2013)★★ [韓国映画]

原題
『변호인』
(2013)
★★
(韓国一般公開 2013年12月18日)

英語題名
『The Attorney』

日本語訳題名
『弁護人』

勝手に題名を付けてみました
『熱血ノ・ムヒョン伝説 -序章-』


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(STORY)
1970年代、軍事政権下の韓国・釜山。
高校卒業後、働きながら独学で法律を学び、弁護士になったチン・ウソク(=ソン・ガンホ)は、相棒のパク・ドンホ(=オ・ダルス)と共に小金持ち相手の財産管理を行う弁護士事務所を開設、営業を始める。

たちまち地元の売れっ子になるウソクだったが、そこに突然舞い込んできたのが、苦学時代に世話になった食堂の女主人チェ・スネ(=キム・ヨンエ)の一人息子ジヌ(=シワン)を弁護する依頼だった。

街の学習塾で講師をしていたジヌは、仲間と共にささやかな民主化運動を行っていたことから、軍部と結託した警察に逮捕、収監され、音信不通になっていたのである。

早速、地元の検察局に押しかけ、権利をまくしたててジヌと面会するウソクだったが、拷問で廃人同様になった彼に大きなショックを受ける。

それを機に、庶民派弁護士としての使命に目覚めたウソクは、逮捕劇の裏側で暗躍するクァク・ビョング刑事(=クァク・ドウォン)らの脅しと暴力にもめげず、ジヌの逮捕が捏造だった証拠をつかむ。

やがて裁判が始まるが、主席判事(=ソン・ヨンチャン)は最初から協力的ではなく、仲間の弁護士団も乗り気でないのは明らかだった。

法廷で熱弁をふるうウソクだったが、軍部と警察による新たな捏造と恫喝の前に、どんどん形勢不利に追い込まれてゆき、仲間の弁護団は身の危険を感じて裁判から降りてしまう。

孤立無援で独り法廷に残されたウソク。
絶望的な状況下で本当の闘いが始まる。

かつて熱血人権派弁護士として慕われ、今では現代韓国の英雄として若い層から崇め祀られている、故・盧武鉉元大統領をモデルに描く、実録風フィクション。
サカモト
「2013年暮れに公開された作品群の中でぶっちぎりの大ヒットだったのが、この『弁護人』です」

サイゴウ
「あっという間に500万人動員(※)しちゃったからね。ただ、ソン・ガンホとオ・ダルスが出ている時点でどういう映画か中身が見えちゃうから驚きはゼロ」
(※)最終統計結果は11.374,620人(KOFIC資料による)

サカモト
「それもまた、マーケティング側の狙い通りだったのではありませんか?」

サイゴウ
「今の韓国映画はソン・ガンホが出ている時点と分かった時点で何でも想定内になっちゃうよな。でも、それは観客としてオレ的には実にイヤなことだ。彼が韓国映画界を代表する演技派、個性派として巷で祭り上げられるようになってから随分経つんだけど、『弁護人』のような【ソン・ガンホのオレ様ショー!】を毎回観せられるたびに【有名じゃなかった時代の方が良かったよな】って、いつもつくづく思っちゃう。今じゃ何をやっても、観客が求める最大公約数をビジネスライクにこなしているだけにしか見えないことが多いし、生半可な監督より偉い立場だから、作り手側にもそうするよう取巻き連中なんかと一緒に要求しているんじゃないか?なんて、どうしても思っちゃったりする。後発組のキム・ユンソクのようなひどい手抜き感はあんまりないけど、観ていて全然楽しくない大スターの一人になってしまった」

サカモト
「でも、それは韓国の大衆が【定番】や【ワンパターン】を求めているからであって、その要求に忠実なだけかもしれませんよ。韓国には『寅さん』や『釣りバカ』みたいな【鉄板の定番シリーズ】はありませんが、その代わりにソン・ガンホみたいな【鉄板の立場】にいるスターの【オレ様ショー】が、その役割を担っているのではないでしょうか?」

サイゴウ
「そういう見方も出来るけどな」

サカモト
「それと、この映画が支持されたもう一つの理由は、故・盧武鉉大統領の人権派弁護人時代を、面白おかしく子供にも分かりやすく描いたことも大きかったと思います」

サイゴウ
「なにせ李明博政権以降、ますます祀り上げられているみたいだからな。この映画では一言も主人公を【盧武鉉】とは言っていないけど、『26年』の【あの人】があからさまに誰を指しているかハッキリしているのと同じ。だからオレとしては、そこら辺に韓国特有のイヤーな排他性を強く感じて共感出来なかったりする。原体験も違いすぎるし。観ていて【あー、やっぱり韓国だなぁ】って呆れはするけど…」

サカモト
「果たして主人公が盧武鉉かどうかは別にして、映画自体はオーソドックスな勧善懲悪物です。それについては韓国市場にターゲットを特化した商品として、その点、優れていたと思います。政治に興味が無い子供たちにも分かりやすい内容でしょうし。でも、その【子供にも分かりやすい】という切り口が、裏を返せばグレーゾーンにいる一般大衆の操作を狙った気配を感じさせる、ってことでもありますけどね…」

サイゴウ
「定番が好きな人にとっては面白い映画であることにオレも異論はないよ。でも同時に韓国独特のイヤーな雰囲気が漂う内容でもあったと思う。元ネタが当の韓国人でなければ理解し難いということも大きいけど、物語全てが【韓国的前提と韓国的常識】という、いつも外国人が困らされるお約束の下で進行する映画でもあったからだ。この映画をノーテンキに楽しむには【盧武鉉は庶民の味方、絶対的ヒーローだ!】【韓国の軍事政権はすべからず悪い!】【民主化運動をしている若者たちは皆善良で可哀想な被害者だ!】という事前・事後承諾を観る側は求められる。韓国式時代劇みたいな単純な娯楽作なら、それでも【仕方ない】で済むけど、この『弁護人』の場合は今だ完結していない歴史的・政治的テーマが濃く含まれているので、当時を知らない子どもや若者にこれを観せて、【どうだ、素晴らしいだろう、カッコイイだろう】と、暗黙に絶賛と追従を求めることはどうかと思う。本来なら当時を知る年長者が若い世代をフォローすべきなんだけど、韓国じゃ、まずそういうことはやらないだろうし、やっても黙殺されるだけだろうし…」

サカモト
「この映画に韓国の政治や歴史についての一方的な事前・事後承諾を強要されるかどうかは人ぞれぞれの問題ですけどね。でも、韓国は映画にしてもTVにしても、自国の歴史や政治をテーマにする時、端から頑とした【韓国式絶対前提】が大なり小なり存在して、客観的、自由主義的であろうとする人たちと作品自体がコミュニケーションを拒否している傾向が無いとはいえませんからね」

サイゴウ
「映画は映画に過ぎないから目くじら立てて怒っても仕方ないし、【韓国人は公的な歴史的、政治的異論に対して耳を傾けることに興味も関心もない国民性】と言い切ってしまえばそれまでだけど、軍事政権が終焉し、とりあえず民主化してから早二十年が経つワケだから、こういう映画にはもっと柔軟で自由かつ洗練された解釈も取り入れて欲しいんだけどね」

サカモト
「【当時なぜ軍事政権であったのか】とか【なぜ為政者は強権政治が維持できたのか】とか【悪の側にいる人々が何を思い、どう生きてきたのか(※)】なんて、韓国の作品ではまず描かれませんからね」
(※)2014年に公開された『情愛中毒(인간 중독)』はそれをやっちゃった珍しい例

サイゴウ
「やればやったで酷く叩かれるだけ、そしてお決まりの【ナチスがどうたら】とか【従軍慰安婦がどうたら】とか、毎回同じ語句を繰り返して騒ぎ始め、最後は【日本が悪い】【アメリカが悪い】と他国か他人のせいにして終わりだもんな。自国歴史批判で許される定番ネタといえば、せいぜい【朝鮮王朝の後期政治が悪い】とか【朴正煕の独裁政権が悪い】くらいじゃないのか?それだって【日本が諸悪の根源】という前提での話」

サカモト
「みんながみんな、そんな偏狭な人たちばかりではありませんし、本音では真剣に考えていない事の方が多いとは思うのですが、【ああ言えば、こう言わなければならない!】みたいな暗黙のルールが韓国にはありますからね。それに、いつもひどい目に遭う一般庶民ですから、【こうなったのは俺や私のせいじゃない】という言い方も理解すべきですが、だからといって国の問題が一般市民と無関係かといえば、それもおかしな話です。結局、彼らが口汚く罵る体制とは、自分自身の責任でもある訳ですから。それはどこの国や社会でも変わらないことなので、【韓国は例外だ】なんて馬鹿な話はないでしょう」

サイゴウ
「自分たちの社会が持つべき責任のあり方を、特定国家やその為政者へ責任転換したり、悪の根源として吊し上げたり、逆に自国内の英雄賞賛や崇拝に振ってしまうところは、いつまで経ってもオレたちが馴染めない韓国の特性。もっと総体的な繋がりで物事を考えるよう、大人は子供や若者たちに教えるべきなんだけど…」

サカモト
「でも、それでは誰にでも分かりやすい【勧善懲悪】で大衆が動かなくなりますから、煽る側の立場からすれば都合の悪い事でしょうし、分かり易かった話が複雑に難しくなることで、ますます本当のメッセージが届かなくなる人も増えるでしょうね。なにせ、余計なことに頭を使わなくてはなりませんから…」

サイゴウ
「今の韓国は【自称:日本より進んでいる直接大統領選挙制の国】なワケなんだから、日頃、文句をタレて吊るし上げて叩いている問題の多くは、当の国民自身にも大きな責任があることを、もっと論じ合う風潮にすべきなんじゃないのか。結局、この『弁護人』も【絶対悪の体制】に抵抗する【絶対正義の英雄】を、当時を全く知らない若者が中心になって絶賛して祀り上げる一方で、一度【悪】認定されたならば永久に【悪は悪でなければならない】という、韓国社会にありがちの困ったパターンを象徴するような映画でもあったと思うよ」

サカモト
「私は【日帝時代】や【軍事政権時代】を支持したり弁護するつもりはありませんけど、それらが親日派だとか、日本の伊藤博文やら天皇やら歴代の首相やら、特定個人の私利私欲に依るものとして一刀両断してしまう姿勢は、いい加減やめるべきです。歴史や政治が単純化できないことを、そして単純化してしまうことが非常に危険であることを、映画にきちんと織り込んで欲しかったとは思います」

サイゴウ
「一旦【こうだ!】と決めつけたらば、個々人の本音は違っていっても修正が許されなくなり、偏向したまま、どんどん進んじゃう韓国らしい個性を持った映画ではあるんだけど、それゆえ純粋に楽しむことに疑問を感じる作品だったな」

サカモト
「総評的には凡庸な映画だと思いますが、やっぱり【国民俳優ソン・ガンホ】人気と【かっこいい俺たちの盧武鉉】という二つのカルト・イメージの合致が、韓国で受けた一番理由のような気がします」

サイゴウ
「映画に現代史的な解析を当て嵌めながら観ていた観客は、あんまりいなかったんじゃないか?」

サカモト
「そういう人は一部インテリや専門家だけでしょうね。みんながみんな、そういう視点を持っていたら、この『弁護人』はここまでヒットしなかったでしょう。私がこの映画を観終わった後、前の席にいた大学生らしきカップルがスマートフォンで弁護士時代の盧武鉉が裁判で暴れている動画を観ていたんですけど、その姿をこの映画に重ねて観れば単なる【かっこいい】痛快作でしかなかったんだろうな、なんて思いましたよ」

サイゴウ
「まさに【韓国式ドメスティック】の王道だな。オレとして気になったもう一つの点は、あからさまにオリンピック前の韓国を舞台にしているのにもかかわらず、当時の雰囲気や空気感が映画から全く感じられなかったことだ。もちろん、色々と美術なんかでは工夫して時代性を再現しようとしているのは分かるんだけど…なぜなんだろう?」

サカモト
「そこら辺が映画マジックの難しさかもしれませんね。映画で物量的、美術的にいくら凝っても、努力の割には時代性が出なかったりしますから」

サイゴウ
「ちょっと前の作品だけど、クァク・キョンテクの『チャンピオン(챔피언)』は、そこら辺が良く出来ていて感心した記憶があるので、技術的に韓国映画界で出来ないワケではないんだろうけど…」

サカモト
「でも『チャンピオン』は既に十年以上前の映画です。だから、当時ぎりぎりで【昔の韓国】を再現可能出来た、という考え方もできます。日本人が考えるより今の韓国では『弁護人』当時を再現することが、実は難しくなっているのかもしれませんよ。近頃の日本における戦争映画が再現技術やツールの面で昔より優れていても、映像化したものに実感が伴わなくなって来ていることと、似たようなことなのかもしれません」

サイゴウ
「それとオレが思うほどソン・ガンホもオ・ダルスも昔の韓国の臭いを引きずる俳優じゃなかったのかもしれないし、もしかしたら韓国社会の不確定さ、不安定さが彼らの個性を変質させてしまったのかもしれない」

サカモト
「それにスターとして大金が入るようになれば人は変わりますからね。この『弁護人』という映画は、【過去への憧れ】が【羨望すべき伝説】として【絶対的事実】にすり替わり、【後世に語り継がれてしまう】、という過程を如実に示してしまった作品かもしれませんね」

サイゴウ
「そういうところも、今だ【悪の巣窟】認定されている日本側であるオレたちにとって、この『弁護人』を色々と危惧しちゃう理由だったかもしれないな」



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『パイレーツ』(2014)★ [韓国映画]

原題
『해적: 바다로 간 산적』
(2014)
(韓国一般公開 2014年8月6日)

英語題名
『The Pirates』

日本語訳題名
『海賊 海を往く山賊』

日本公開時題名
『パイレーツ』
(日本一般公開 2015年5月22日)

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(STORY)
時は1330年代、李成桂を初代国王に戴き、李氏朝鮮王朝が始まろうとしていた頃。

山には国命に反抗し、上官のモ・フンガプ(=キム・テウ)に重傷を負わせて逃亡した元高句麗の軍人チャン・サジョン(=キム・ナムギル)が盗賊として暮らしていた。

一方、海では女海賊ヨウォル(=ソン・エジン)が極悪非道な頭領ソマ(=イ・ギニョン)を追放し、新しいリーダーとして暴れ回っていた。

山賊と海賊、決して共闘するはずのない者同士だったが…

明朝から国璽を賜ったハン・サンシル(=オ・ダルス)が海路を経て国へ戻る途中、ザトウクジラ親子をおちょくったことから、船を沈められ、国璽を母クジラに飲み込まれて奪われてしまうという大事件が起こる。

サンシルは責任逃れのために官僚チョン・ドチョン(=アン・ネサン)と口裏を合わせて、海賊に国璽を奪われたことにしてしまったことから勅命の海賊狩りが始まった。

国璽がクジラに飲み込まれた噂を聞きつけたサジョンはヨウォルの元部下で船酔いのひどいチョルボン(=ユ・ヘジン)を顧問にして国璽奪還戦に加わるが、海賊討伐隊の指揮を執ることになったのは幽閉されていたフンガプだ。

濡れ衣を着せられたヨウォルたちも自分たちへの疑いを晴らすためクジラ捜索を始めるが、国璽を呑み込んだのは、かつて幼いヨウォルを救ったクジラだった…

そしてヨウォルたちの前に死んだはずのソマが立ち塞がる。

李氏朝鮮王朝建国当時、長期に渡って国璽が無かったという史実に基づき描かれる、軍隊、海賊、山賊の国璽奪還お笑い大乱戦。
サカモト
「映画の出来栄えはかなり【アレ】で、韓国嫌いからすれば相当なうんざり系なのですが、物語のユニークさではちょっと評価したい気もする毛色の変わった作品だったと思います。今の韓国だから成し得た珍作といったところでしょうか」

サイゴウ
「面白いか否かは観る人それぞれだけど、点数を付けるとすれば30点程度のひどい映画。だけど、【デート&ダチ連れ】か【ガキ連れ&家族連れ】映画としてはピッタリなので、とりあえずオレ的には商品として【アリ】としたい。全然笑えなかったけどな」

サカモト
「笑いのセンスが【ベタ】というより時代遅れな印象です。もしくは、あまりにもお子様向けというか…一応12歳以上という軽い年齢制限はありますけど。暴力まみれですから当然ですが…」

サイゴウ
「ちょっと前の児童映画企画に投資家たちが騙された、って感じだな。ちゃんと子供向けで作っていたら、もっと面白かったような気がしないでもない」

サカモト
「誰が観ても【ありえないだろう!】的な世界観の中で、これまた【ありえないだろう!】的な朝鮮海賊が活躍するという奇想天外さでは娯楽映画の王道を行っていたと思います。マーケティング的には『パイレーツ・オブ・カリビアン』辺りと重なる層を狙ったと思うのですが、それをそのまま韓国映画のフォーマットでやってしまったところに、ちょっと意表を突かれました」

サイゴウ
「なにせ一般的な海賊のイメージって韓国の歴史では、ちょっと考えられないものだからな。韓国映画でやろうとしても、めちゃめちゃになる可能性の方が高いし、作り手としては今まで自主ブレーキを掛けていたんじゃないだろうか?史実に沿ってやれば【カッコイイ海賊】じゃなくて【ダサい倭寇】の話になっちゃうだろうし。それじゃ韓国的に色々と都合悪いだろう」

サカモト
「そこら辺もまた、『パイレーツ・オブ・カリビアン』が良い手本になったのではないでしょうか。【なんでもOKな海賊像】が巷で認知された今だからこそ、【朝鮮時代を舞台にしても勝算がある】という計算が成り立ったと思います」

サイゴウ
「まあ五年前なら、ありえなかったような企画。そもそも、まともなシナリオが思い浮かばないと思うんだけど、映画の方向を徹底してコミカルなバカ・幼稚系に偏らせたことで、韓国人としてギリギリの歴史的リアリズムをなんとか強引に組み込ませた、という感じだな」

サカモト
「そこら辺も相当メチャクチャですけど、【そういう映画だから仕方ない、許そう】で納得させてしまう力技の連続、それは素直に評価したいです。日本ではアニメーションでもここまで強引なデタラメ話は非常に難しいと思います。【馬鹿話】というものは作る側が【馬鹿】から離れないと出来ませんから、企画的には高度な作業だったのではないでしょうか?『~海を往く山賊』という副題も映画の内容そのまんまで全然シャレになっていないのですが、【人々の注意を惹く】【分かりやすい】という点ではマーケティング的に賢い題名かもしれません」

サイゴウ
「韓国ではたまたま、『鳴梁』の公開時期とほぼ重なってはいたんだけど、両者は【クソ真面目】と【ウルトラ馬鹿】に徹底することでうまく棲み分けたって感じかな?結局2014年の夏休みに並んだ時代劇同士三つ巴の戦いは大手興行の共闘路線から外れてしまった『群盗』が一番損した形になってしまったけど、今の韓国における映画配給事情の縮図みたいだったな」

サカモト
「ただ、『パイレーツ』にしても『鳴梁』にしても意欲的な大作は出来が最悪に陥りやすい、というルールがそのまま当て嵌まったような映画でもありました。両方とも客が入ったからいいものの、コケていたら、かつての『天士門』や『Are you ready?』並みの大失敗&珍作になっていたと思いますし、完成度は、それら伝説の駄作といい勝負」

サイゴウ
「【出来の良い悪い】だけで言えば、この『海賊』も大ヒットした『鳴梁』も夏休み興行から弾かれちゃった『群盗』も、どっこいどっこいだよ。今思えば『群盗』の作品性が最も高かったとは思うけど三作品ともドングリの背比べ。ただ、全作品に共通して言えるのは【映像の凄み】という点で【韓国映画が行くところまでいっちゃったかも?】ということかな?今の日本映画における大作のチャチさが改めて悲しくなった」

サカモト
「十五年前、二十年前の韓国映画の状況を思うと今は想像出来ないレベルになっていますからね」

サイゴウ
「なので、【内容的にはアレ】でも、この『海賊』もまた、料金には見合う映像にはなっていたと思う。まあ、日本人としては開き直って観ることを薦めたい。あくまでも【韓国式VFX映像の大乱舞だけ楽しみましょう】って感じだな」

サカモト
「そもそも韓国の時代劇と日本の時代劇を比較して優劣を主張し合うこと自体ズレていますからね。求めるものが違うのですから…」

サイゴウ
「【どうせ事実は誰も知らないから先に創作したもの勝ちだ!】みたいな思想が韓国の時代劇にはあると思うぞ。そして、まだまだ韓国社会はそういう段階にあると観るべきなんじゃないだろうか。そういういい加減さがTVにしても映画にしても韓国歴史物のレベル向上に大きく貢献したと思うし、それによって有望な作り手が育っていることは否定出来ない。逆に日本だと観る側が史実に拘り過ぎて純粋に楽しめなくなっていて大衆の娯楽としての時代劇はしぼみ続けているんじゃないかな?歌舞伎だって新作以外は昔ほど破天荒な演し物をやらなくなっているように思うし…日本で映画が沢山作られていた時代は『海賊』のようなバカ系時代劇も同時に作られていたと思うんだけど、それが出来なくなってしまった事の方が日本人として憂えるべき問題なんじゃないか?」

サカモト
「韓国の歴史物は最近よく日本で反韓・嫌韓の象徴として槍玉に上がっていますが、韓国人の多くが自国の歴史ドラマを信じている訳ではありません。もちろん信じているように見える人もいますが、それも結局は【韓国人の歴史に対する無関心さ】の裏返しであり、過去が彼らの多くにとって一過性のどうでもいい事象にしか過ぎない、という象徴のような気もします」

サイゴウ
「韓国でお金を掛けた時代劇が盛んに作られるようになったのはホント、ここ十五年くらいの話。『チャングム/大長今』のヒットが一つの契機になっているワケだけど、だからといって巷の歴史への関心&理解レベルが上がったかと言えば、どうにもそうとは思えないよな。だからこそ、韓国社会に不満を唱える若者たちは、誰かさんたちの唱える口当たり良い民族主義的プロバガンダに動かされやすくなっているとも言えるんだけどさ」

サカモト
「この『パイレーツ』に対して、あえて【反韓・嫌韓】的な批判をするとすれば、朝鮮時代初期の【国璽が無かったネタ】のあまりにも出鱈目な解釈ということになるのでしょうけど、それもちょっと思考が硬直しすぎでしょう」

サイゴウ
「コメディネタのこじつけとしては、いい意味で逆によく考えられていたんじゃないかな?今の日本映画ではありそうにない発想かも?」

サカモト
「今思えばですが、この『パイレーツ』は反面教師みたいな娯楽作だったのかもしれませんね。映画批判なんか忘れて観ている刹那だけ楽しみ、終われば綺麗さっぱり忘れておしまいという…そういう意味でも絵に描いたような娯楽映画の手本だったのかもしれません」

サイゴウ
「オレ的には上映時間が長すぎて退屈だったし、キャストもひどすぎてうんざりしたけどな」

サカモト
「確かにソン・エジンはひどいミスキャストでしたね。韓国映画史に残りそうなくらい無残でした。彼女がこういう映画で女海賊を演じるという発想自体は予想を超えることなので面白いとは思うのですけど、それだけ。彼女もまた、三十過ぎて低迷していることを切実に体現しているようでもあり、とても悲しくなりました」

サイゴウ
「キム・ナムギルも演じる役が役なので、そのお約束的オーバーアクションを観ている時は【これはひどい!】と思っていたんだけど、彼のキャリアを調べて見れば元はどちらかと言えばハード系、端役だけど意外な作品に多く出ていたので驚いた。それほど上手な役者じゃないけど、今回の割り切りすぎた演技は【ちょっと応援してもいいかも?】」

サカモト
「この『パイレーツ』は【救い難いひどい映画】ではあるのですが、【大衆娯楽としての映画】という原点を考えた時、日本映画もちょっとだけ、このベタな【くだらなさ】を参考にしてもいいかもしれません」

サイゴウ
「そんなこというと日本でこの映画を観た人たちから【バカ野郎!金返せ!】って、恨まれちゃうぞ」


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『国際市場で逢いましょう』(2014)★★★+1/2★ [韓国映画]

原題
『국제시장』
(2014)
★★★+1/2★
(韓国一般公開 2014年12月17日)

英語題名
『Ode to My Father』

日本公開時題名『国際市場で逢いましょう』
(日本公開 2015年5月16日)

勝手に題名を付けてみました
『トクス爺さん一代記』
 
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(STORY)
昔から釜山市民の台所としてお馴染みの「国際市場」。
そこに食料雑貨店を構えるトクス老人(=ファン・ジョンミン)は半ば引退した年金暮らしだったが、今も、妻のヨンジャ(=キム・ユンジン)と共に店頭に立ち、周りに啖呵を切っては煙たがられていた。
休日ともなれば、子や孫たちが家を訪れ、賑やかだ。
子供の頃に知り合った地元の友人タルグ(=オ・ダルス)とは、今でも仲良しだ。
そんな幸せ一杯のトクス老人だったが、ヨンジャと二人で釜山港を眺めるたびに、ここに来るまでの険しい道のりが、鮮烈にフラッシュ・バックする……

……トクスは元々、北の咸興南道の人間だった。
朝鮮戦争後期、半島に乗り込んできた中国軍に追われて、一家で釜山へ命かながらに逃げてきた。
興南港からの脱出行は過酷で、船に乗り込む際に、父(=チョン・ジヨン)と妹マクスンは行方不明になってしまう。
トクスと母(=チャン・ヨンナム)、下の妹クルスンの三人は釜山に流れ着き、闇市が立ち並ぶ国際市場で暮らし始める。
父とマクスンにいつかは会えることを信じるトクスだったが、彼らに探す余裕など、どこにもなかった……

……やがて成人したトクスは大金を手にすべく、幼なじみの悪友タルグと共に苛烈な競争を突破して、二カ国間協定を結んだ西ドイツへ炭鉱労働者として赴くが、そこは危険かつ劣悪な環境で、いつ命を落としてもおかしくない場所だった。
トクスは休日の街で、看護婦として働く、インテリのヨンジャに一目惚れしてしまう。

ドイツ語の堪能な彼女は、トクスにとって高嶺の花に思えたが、そのヨンジャもまた、病院の過酷な汚れ労働を強いられる、一下級労働者に過ぎなかった。
やがて二人は恋仲になり、逢瀬を重ねて行く。

そんな幸せも束の間、大規模な落盤事故が発生し、トクスとタルグは、自力では脱出不可能な場所に閉じ込められてしまう。
地上では打つ手がなく、ドイツ人経営者側は救出活動を拒否、二人は絶望的かと思われたが、己の命を顧みず、救出に立ち上がったのは韓国の同胞たちだった……

……韓国に戻ったトクスとタルグだったが、今度は韓国軍のベトナム派兵に便乗して一儲けしようと、現地に渡り、商売を始める。
しかし、そこは民間人であっても命の保証はなく、米軍基地への自爆テロでは九死に一生を得る。

やがて戦局は悪化、二人はサイゴンを追われ、遂にはベトナム脱出行を余儀なくされる。
その途中のジャングル行で、韓国軍と北ベトナム軍の戦闘に巻き込まれ、ベトナム人女性を救おうとしたトクスは足を撃たれて、一生の傷を負ってしまう……

……釜山に戻ったトクスは、食料雑貨店の主人として、ヨンジャと共に店を切り盛りするようになる。
悩みはお年頃で素行不良のクルスン(=キム・スルギ(※))だったが、そんな彼女もやがて伴侶を見つけ、結婚することに……
(※)クルスン演じる俳優はそれぞれの時代に合わせて全部で五人いる

……1970年代に入り、南北対話が始まると、韓国では離散家族探しが国家行事として大々的に行われるようになった。
そこで、生活に余裕の出てきたトクスは、興南港で生き別れになった父と妹の消息を探し始める。

そして、家族探しのTV番組放送中に、アメリカの韓国系女性(=チェ・ステラ・キム)が名乗り出てくるが、彼女は韓国語が全く話せない上、当時の記憶もほとんど無く、決め手が無い。

果たして、彼女は生き別れた妹のマクスンなのか?…
放送時間終了が迫る中、焦るトクスは、決定的証拠があったことを思い出す……

韓国現代史を背景に、トクス老人の波乱に飛んだ人生を描く、涙と笑いの大河エンタテイメント。
サイゴウ
「よくあるドメスティックでベタな家族物かと思ったんだけど、その予想を、いい意味で覆された好編だったな。ベタといえばベタな、韓国のブロックバスターらしい映画なんだけど、歴史スペクタクルであり、大河ドラマでもあったりする。でも、この題名じゃ、そこら辺が、ちょっと想像し難いと思うぞ」

サカモト
「監督は、あの『TSUNAMI(해운대)』のユン・ジェギュンだからでしょうか、いい意味で韓国の大作らしい、見所が一杯の作品になっています。この映画における本当の主人公とは、光復節から今に至るまでの【韓国現代史】そのものだったのでは?」

サイゴウ
「朴槿恵政権叩きが好きな若いリベラル派連中からすれば、過去を美化して懐かしむ【年寄り向け右翼映画】ではあるんだけど、基本的には子供から年寄りまで、誰でも楽しめる優れた娯楽作になっている。【国威高揚映画】っぽい臭いも濃厚だけど、あの『弁護人(변호인)』に若者が押しかけちゃうお国柄だから、やっぱり家族向け娯楽映画であっても、【政治臭は欠かせない】ということなんだろう」

サカモト
「この映画を【韓国版・ALLWAYS 三丁目の夕日】という表現をどこかで目にしましたけど、そういう見方をすると、日本と韓国の差異というか、溝の深さも分かる映画ですね」

サイゴウ
「【日本は相変わらず平和ボケしたお人好し】みたいな感じかな?でも、それだけ日本が色々な意味で豊かだった、ってことなんだけどね」

サカモト
「…とまあ、こういう言い方をしてしまうと、日本の一部偏屈な韓国嫌いや、お花畑系の韓国大好きな人からは敬遠されてしまいそうな映画に見えますが、今の韓国が光復節以降、どういう道のりを経て今に至るかを分かりやすく描いた【韓国現代史概論】だと思ってみれば、それなりに受け入れやすいと思いますが?」

サイゴウ
「それに【韓国現代史うんぬん】と言っても、あくまでもスペクタクルを盛り上げるネタ、それに日本人が身構えたり、警戒したりすることは全く無い。この映画で語られたエピソードを100%信じる必要はないし、ヘンだと思えば、そう言えばいいだけの話。ベトナム戦争のエピソードが日本で一番反感買いそうだけど、韓国軍の戦争犯罪を告発することが目的じゃないだろうし、主人公たちみたいにベトナム戦争にビジネスチャンスを見出して渡った人たちが実際韓国には大勢いて、そこで得たお金で故郷の家族を支えていたワケだから、【そういうことも当時はあった】という大人の醒めた視点で観た方が健康的だろうな」

サカモト
「それよりも朝鮮戦争についてのエピソードが結構あっさりしていたのは気になりましたけどね。中国市場に気を使ったからかな?とは感じましたけど…」

サイゴウ
「でも、冒頭の興南脱出行は、この映画の中でも最大の見所だろうな。VFXの出来が非常に良くて緊迫感に溢れている。朝鮮戦争の悲劇を描いたワンシーンとしても韓国映画の中では屈指の出来栄え」

サカモト
「今の日本の戦争映画大作で、あそこまで描くことは無理でしょうね」

サイゴウ
「この映画はまず、その脱出スペクタクルで【ギョッ!】と驚かされて、【何だ、この映画は想像と違うぞ!】って心掴まれてしまうんだけど、それが後々の大きな感動へと繋がるんだよな。冒頭で丁寧に戦闘&大脱出を描いたからこそ、後半での離散家族問題がリアルに浮き上がって来たと思う。言っちゃ悪いけど、日本で大ヒットした『永遠のゼロ』なんて、その志は認めても映画としてはショボショボ過ぎる。正直、自信を持って外国人には見せられないよ。その点、韓国映画で描かれる【戦争】は、多少臭くても気合が入っていて説得力がある」

サカモト
「『永遠のゼロ』を韓国の自称・愛国者連中に見せても、彼らから反感を買う以前に、【日本映画って、偉そうなこと言って、この程度かよ?】って、馬鹿にされそうですからね。残念ですが、きょうびの日本における戦争映画の限界が分かる一例かもしれません」

サイゴウ
「昔の日本の戦争映画はディテールこそ今に劣っても、中身は遠慮が無かったと思うんだけどね。日本映画が世間の目を気にしてか、当たり障りなく妙にソフト化しているのは、歴史を後世に伝える意味でも逆に危うい気がするんだけどな」

サカモト
「韓国で作られる作品のように露骨に偏っている方が、観客にとって自由な判断をしやすいという見方も出来るかもしれませんね」

サイゴウ
「さて、話を『国際市場で逢いましょう』に戻すけど、なぜこの映画が冴えているかと言えば、迫力満点の興南脱出が全体のほんの一部でしかない、ということだろう。なにせ、主人公一家が釜山に脱出した後も、ドイツ炭鉱での落盤事故やら、ベトナム脱出行やら、それだけで日本映画が何本も作れそうな、真似したくても出来ない映画的スペクタクルが続く。それを【所詮、ハリウッドもどき】とか言って、馬鹿にすることは簡単だけど、娯楽大作というものはやっぱり、【こうでなくちゃ!】と正直思ってしまうワケよ。そして、そういう派手なエピソードが主人公一家の人情話の合間で浮かないで、ちゃんとバランスよく組み込まれていることも【この映画はエラい!】と思った大きな理由の一つかな。日本映画とは別の意味でマネージメントの上手さを感じた。日本と韓国では予算や体制の違いがあるので、オレは【日本映画は韓国映画を見習え!】なんて言うつもりはないし、そう言ってはいけないことだとも常々思っているんだけど、それでも、この映画の前では、漫画や小説を原作した日本の大作のショボさ、つまらなさ、空回りぶりが、ますます浮き立って来るようで、とても悲しくなったよ」

サカモト
「劇中のVFXも全体的に完成度が高いですよね。まあ、海外のプロダクションにも出しているみたいですけど。でも、そういうやり方は日本映画でも、もっとやっていいと思います。もちろん、日本は日本でコストやプライドの面で問題があるのでしょうけど…」

サイゴウ
「韓国内でこなせるVFX自体は水準に、かなりバラつきがあるので、どこまで信用していいものやら、さっぱり分からないけど、『国際市場で逢いましょう』に限らず、ちょっと前から映画での使い方はかなり熟れて来ていて上手になったよな。『シュリ』や『ロスト・メモリーズ』が製作された当時の面影なんて、今の韓国映画には微塵もない」

サカモト
「ただし、韓国映画はデジタル方向に頼りすぎて【そこまで依存しなくても】と感じることは多いですけどね。ハリウッド映画はそこら辺、ちゃんと使い分けていると思うのですが…」

サイゴウ
「でも、日本映画だって、あんまりとやかく言えないけどな。以前はアナログに拘り過ぎて首をシメたきらいがあったけど、今は悪い意味で逆方向になっている気がする。デジタルはホント便利だし、表現の幅は広がるし、物によってはコスト削減に繋がるツールだけど、やっぱり根底にアナログ的素養が無いと自己満足のツマラナい映像になっちゃう」

サカモト
「はたまた話が外れて来たので再び戻したいと思いますが、今回の『国際市場で逢いましょう』は歴史教材としても、なかなかいいと思うのですけど、いかがでしょうか?」

サイゴウ
「この『国際市場で逢いましょう』をプロパガンダ目的の【歴史啓蒙映画】や【国威高揚映画】として観るかどうかは年齢や国籍でかなり違うとは思うんだけど、割り切って考えれば、十分教材に使える部分もあるんじゃないか。もちろん、それなりのフォローは必要だけどな。2カ国間協定やら何やらで韓国の一般人が世界中に出稼ぎに渡って当時の韓国を支えていたことは当の韓国人が忘れ始めていると思うし、日本の【韓国にうっとり】な連中は案外この映画で描かれたことを知らないか、どうでもいいと考えている人が実は結構多いんじゃないかな?誰かに踊らされた机上の空論で【日韓友好!】だとか【韓国大好き!】なんて主張する前に、韓国に興味があるのなら観た方がいい作品だと思う。もちろん、反韓派から【日本人には関係ないことだろうが!】と言われれば、それまでだけどさ…」

サカモト
「でも、お花畑系の人が観ると逆効果になるかもしれませんけどね。【やっぱり韓国は素晴らしい!それに比べて日本は…】なんて絶賛しそうです」

サイゴウ
「その逆に韓国嫌いにとっては【韓国人がまた自己陶酔している!だから韓国は…】なんて言うツッコミもあるだろうな。でも、日本でよくある【韓国への勘違い】を改めて知るバロメーターにもなりうるんじゃないのか?そして、主義主張を超えて、この映画を観て欲しいと思うのは、劇中きちんと南北離散家族問題を描いていることだ。これこそ『国際市場で逢いましょう』の一番重要なテーマとも言えそうだ」

サカモト
「主人公のトクス自身が北から逃げてきた難民ですから作劇上離散家族問題を避けて通れない、ということも大きいでしょうけどね。でもトクスが、いつもどこかで父や妹との再会を信じていて二人を探し続けていることが、この映画における過去と現在を繋ぐキーになっていたと思います。トクスの目を通して描く【家族の誕生】と【家族の再生】の物語と言えるかもしれません」

サイゴウ
「戦争でバラバラになってしまった家族と結婚して誕生した家族を交差させて描いた、というワケだ。【家族の誕生と再生】って韓国映画では毎度おなじみの定番ネタでもあるけどな」

サカモト
「韓国における離散家族探しは昔、日本のマスコミでもよく報道されていた記憶が漠然とあるのですが、最近は韓国ですら忘れているというか、どうでもいい的な扱いなってしまっているような感じがありませんか?」

サイゴウ
「多くの韓国人にとっては生活に直接影響しないから、それは仕方ないと思うよ。日本だって第二次世界大戦の扱いがマスコミで年々小さくなっているのと似たようなものだ。この映画では当時韓国で大々的に行われていた離散家族探しがリアルに再現されていて、それが最後の大団円の布石になっているんだけど、最近はホント、韓国映画の中でも見なくなった」

サカモト
「離散家族を描いた作品といえばイム・グォンテク監督の『キルソドム』が日本では知られていますけど、今じゃ、どこでも観る機会が無くなりましたね。1985年の映画ですが…」

サイゴウ
「NHK教育テレビの海外映画枠で昔は定期的に放送していたような気がするけどな。この作品に限らず、オレたちが子供の頃はTVニュースでも韓国の風物詩というか、韓国を象徴する催しとして、よく紹介されていた記憶があるんだけど、今じゃ、その報道自体がされなくなった感がある」

サカモト
「当事者の高齢化が進んでいますから、それは避けられないことなのかもしれませんが、日韓共に、もっと触れてもいい問題だとは思います。日本人だって、終戦後に家族と離散して大陸から戻って来ることが出来なかった人たちが大勢いた訳ですから…」

サイゴウ
「ただ、日本にとっては遺憾の言葉の意味であっても、ヘタに離散家族について公言しちゃうと韓国の反日利権集団に因縁つけられる口実にされちゃうから、日本ではますます誰も触れなくなってしまうんだろうな。でも韓国は日本と違って、直接関わっている当事者だから、もっと語るべきだろう。だから、物知り顔で偉そうに日本批判をしている韓国の反日連中には、【従軍慰安婦がどうたら】だとか【旭日旗がどうたら】、【靖国がどうたら】に【親日派がどうたら】の反日・反体制系クレームをSNSに上げて、はしゃぐ前に、もっと自分たちの足元周辺を見ろ!と言いたくはなる」

サカモト
「『国際市場で逢いましょう』が高齢の観客層に歓迎されたのは、そういった今では忘れられつつある記憶や人々の姿、そして自分の歩んだ人生への哀愁も大きかったと思います」

サイゴウ
「もっとも、この映画が大ヒットした理由は、韓国の年寄りにとっては【原体験】であり、若者にとっては【スペクタクル&コメディ】、家族連れにとっては【ファミリードラマ】という、どの年齢層でも面白く観ることが出来る【Multipurpose marketing】ぶりがズバリ当たった、ってことが一番なのかもしれないけどな。もちろん、銭ゲバなコンセプトだけじゃ、こんなに面白い映画は作れないけど…」

サカモト
「出演者については、もう鉄板のキャスティングなので、あまり言うべきことはありませんが、キム・ユジンが絵に描いたような韓国アジュマを演じていたのは、ちょっと驚きました。多分、ああいう役は初めてだったのでは?【ハイソなアジュマ】は時々やっていますが…」

サイゴウ
「でも彼女が劇中、【爆発パーマおばさん】になるのは後半から。若い頃のエピソードは、やっぱりいつもの【皆が憧れるインテリ在米同胞のキム・ユジン】だけどな。最初からアジュマ演っていたら、もっと愉快だったと思う。やっぱり彼女的には田舎臭くて泥臭い役を演じることは、ビジネス的にNGなのかな?当人はOKでも取巻きが五月蝿いというやつかもしれないけど…」

サカモト
「もう一人、何気で好演していたのが、やはりキム・スルギでしょう。出番が少ないのは非常に残念ですが、彼女の映画キャリアの中では、その個性が最も発揮されていたと思います」

サイゴウ
「とはいっても結局は捨て駒、単なる笑わせ役。キム・ユジンの噛ませ犬みたいなキャラだから、今回のような役で注目されちゃうと【キム・スルギ=三枚目のおブス役】ばかりになりそうで、あんまり喜べない。一度インディーズでいいから彼女を主演にした正統派ラブストーリーだとか、真面目な人間ドラマを誰かが是非撮るべきだよ。ヘタ打つとペ・ドゥナみたいな扱いをされちゃうぞ」

サカモト
「それと、こちらも出番が少ないのですが、トクスの父親を演じたチョン・ジヨンが、とても印象に残ります」

サイゴウ
「彼も最近めっきり出番が減ったよな。演技に幅が出てきて昔に比べると柔らかくなってきた感じがある。でも、オレ的には昔の鉄面皮な仏頂面の方が好きだけどね」

サカモト
「最後にまとめますと、この『国際市場で逢いましょう』は非常にドメスティックではありますが、日本人なら共感できる部分がたくさんあると思いますし、ジャンルを超えて幅広い年齢層に受け入れられる非常に優れた娯楽作だったのではないでしょうか?」

サイゴウ
「良くも悪くも液状化したキムチの腐臭がデロデロと濃厚に漂う映画だったとは思うけど、韓国という土壌だからこそ作れた映画とも言えるワケで、そういう意味でも観る価値のある作品じゃないのかな?」


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『ハート泥棒を捕まえろ!』(2013)★ [韓国映画]

原題
『캐치미』
(2013)
(韓国一般公開 2013年12月18日)

英語題名
『STEAL MY HEART』

日本公開時題名
『ハート泥棒を捕まえろ!』
(日本公開 2015年5月9日)

CATCH.jpg

(STORY)
イ・ホテ(=チュウォン)は検挙率100%を誇る凄腕のプロファイラーだったが、私生活では独身貴族を楽しむオタクな趣味の人でもあった。
時間があればガンプラ(※)作りに励み、家にはそのコレクションがずらりと並んでいる。
(※)言わずもがな、日本の某玩具メーカーが発売している看板製品のこと

ある重要事件の張り込み中に容疑者が同じ車に2度跳ねられるという事故が発生するが、口封じの疑いが掛けられる。

プロファイルを命じられたホテは得意の推理で事故を起こした車と持ち主の家を突き止めるが、そこで出会ったのは、かつて大学時代に付き合っていた初恋の人、ユン・ジンスク(=キム・アジュン)だった。
だが、その思い出はホテにとって触れられたくないトラウマでもあった。

捜査を進める内に、ホテはジンスクが古美術専門の有名な泥棒であることに気がつくが、そのことを警察側に隠してしまう。
微妙な立場に立たされたホテはジンスクを自宅に匿い、二人の奇妙な同棲生活が始まる。

大ボケなジンスクにホテの優雅な独身生活は破壊されてゆくが、彼女は一筋縄で行かない狡猾な悪女でもあった…

過去をいつまでも引きずる男子と予測不可能な小悪魔女子が繰り広げる、恋の「Catch me」。
サイゴウ
「意外性も何もない、年に必ず何本か出てくる凡庸なデートムービーだな。まあ、堅実な出来栄えだけど」

サカモト
「とは言っても、キム・アジュンやチュウォンのファン以外は全然食指が動かない映画ですけどね。デートムービーとしては無難ですが…」

サイゴウ
「こういうタイプの映画って、『恋愛の温度(연애의 온도)』みたいな【ブロックバスター偽装系】の拾い物が時折出てくるから、決して蔑ろにはできないんだけど、この『キャッチー・ミー』は、そんな腹黒い企みを微塵も感じない。ただ、凛とした商業作品としての潔さがあったので、印象だけは悪くなかった」

サカモト
「キム・アジュン演じるジンスクは凄腕女泥棒という設定なんですけど、全然そうは見えませんし、そういうシーンもほとんどなくて、登場人物のディテールはセリフの説明ばかり。話が【凄腕プロファイラーVS美人泥棒、恋の駆け引き】に全くなっていないんですけど、それって、この映画では最初からどうでもよかったのでしょう」

サイゴウ
「野郎が惚れた女にノラリクラリと逃げられ続け、どう捕まえるか?物語はそれだけ。そのままズバリ、題名通りの【Catch me】な内容。でも、その様子は間抜けでダラダラなので、そのユルユルな【Catch me】ぶりに価値を感じられるか否かが、この映画をどうか感じるかの境目じゃないかな?ちなみにオレは退屈で仕方なかったよ」

サカモト
「タイトルの【Catch me】には忠実だったとは思いますよ。【Catch me】という言葉の前に、キャラクターや物語は全く無意味にしか見えなかったりしますから、話の良し悪しなんか、どうでもいい作品だったのかもしれませんね」

サイゴウ
「これといって何も起こらないまま、ダラダラと115分もやったのは偉いけどな。観る方はシンドいけど…」

サカモト
「主演のキム・アジュンは『私のPSパートナー(나의 PS 파트너)』辺りから、女優としての立ち位置が変質しつつあるのかな?なんて思っていたのですが、今回は存在感の無さが半端じゃありません。まるで幽霊みたいです。三枚目役なのはいいとしても、演じるキャラクターが大ボケ過ぎて最後までよく分かりません」

サイゴウ
「でも、そのつかみどころの無さが【Catch me】というコピーそのままだったのかもしれないけどな」

サカモト
「相手役のチュウォンも、なんだか普通過ぎて、彼を主演に据えることにどういう意味があるのか、これまたよく分かりません。彼も役をそれなりに面白おかしく演じていますが、【どこにでもいる俳優】っていう感じしかなくて、さっぱり印象に残りませんでしたね」

サイゴウ
「チュウォンはTVドラマで活躍しているから、それが主演に抜擢された一番の理由だったんだろ。今回は残念ながら底が浅くて役に意外性がない。でも、これまた、商業映画としての堅実さであり、その裏返しなんだろう」

サカモト
「彼演じるホテがガンプラマニアっていうのは、いかにも今風の韓国男子らしいディテールですけど、果たしてこれを笑っていいのかどうか、日本人としては複雑です」

サイゴウ
「いい大人がガンプラに熱中している様子って、韓国ではプラス、マイナス共に色んな意味を含ませることができるからな。しかもテホは韓国のガンプラ愛好者としてはヘビーなレベルなので、ネガティブ方向にも解釈できる」

サカモト
「ジンスクが壊したRX-78を直す時、手元が狂っちゃうギャグはベタで笑えますが、日本じゃ誰もやらないネタでしょう」

サイゴウ
「韓国におけるガンプラ愛好家の描き方がこれで、日本では『ガンダム・ビルド・ファイターズ』だからねぇ…日韓互いの溝は深い」

サカモト
「もっとも、そんなこと考えて観ていたのは、我々だけでしょうけど…」

サイゴウ
「まっ、劇場で観るにはお金と時間の無駄だけど、家でデレデレと菓子喰いながら友達なんかと一緒に家で観るには、まあまあ行ける作品ではあったとは思うよ」

サカモト
「そこら辺もポイ捨て系商業作品として見れば、堅実な作りだったと言えるかもしれませんね」

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